扉は開かない2

遠くになく鳥の声。ジョナサンは微睡の中で目が覚める。ああ・・・朝だ。
何となく、手が無意識に尻の部分を触る。

・・・痛い・・・

でも前に比べたら痛くない。そっと寝間着を捲ると
傷は殆ど癒えていた。

のろのろと起き上がり、周りを見回すと自分の部屋。
ゆっくりと自分の寝間着に視線を落とす。
それはいつもジョナサンが身に着けているシンプルな寝間着。

・・・ディオのではない。昨日貸してくれた寝間着は
確かにディオの物だ。ディオは自分が選んだ寝間着
しか着ない。だからこれはディオの物ではない。

(昨日と同じ・・・)

ベットからはい出ようとするも、バランスを崩し音を立てて
床に倒れる。精神的疲労だけではない。彼は朝から
少し熱っぽかった。寒気もする。風邪を引いたようだ。
食欲も湧かない。でも食べなければ周りに心配させる。
それにこれから何が起こるか判らないのに、スタミナがなければ
何もできない。

ジョナサンは自分の頬を叩いて気合を入れる。冷たい水で
顔を激しく洗い、シャンとした格好で食堂へ向かった。

食堂では相変わらず父と二人。ディオはまだ社交パーティーから
帰っていないという。しかしほのかに香るココアの味と
体から香る石鹸の匂いが
昨日のことの真実味をよみがえらせる。

ジョナサンは懸命に朝食を食べたが口の中で食べ物が止まる。
胃袋が食べ物を欲求しない。咀嚼している口もとまる。

父のため息が遠くから聞こえる。

「具合が悪いのなら無理して食べなくていい。今日は
 一日中寝ていなさい。」

パンパンと手を叩くと、メイドが食器を片づける。
心配そうにジョナサンを覗きながら、メイドたちは
彼の食べ残した皿も片づけていった。

食堂からでて部屋に戻ろうとすると、ひそひそ話声が聞こえる。

「今日の朝食殆ど残されたんですって・・・」

「お可愛そうに、きっと具合が悪いのだろう・・」

「そう言えば最近お元気がないみたい・・・」

「お医者を呼んだらしいがどうしても着くのが
 夕刻になってしまうらしい」

皆に心配させている・・・。僕はなんて不甲斐ないんだろう。

ジョナサンが大広間を見やると、端の方に大輪のバラを抱えて
ベグが心配そうに見つめていた。

つい目があう。しかし昨日の最悪な思い出が蘇り
目をそらす。再び見るとがっくりとうなだれて
ベグが温室の方へ戻っていくのが見えた。

(・・・・ごめん!!)

胸がずきずきと痛む。気弱な自分のせいで
大事な人たちを心配させて傷つけて・・・

(一刻も早く元気にならなくちゃ・・・)

ジョナサンはだるい体をベットに投げ出し、
これからのことを色々と考える。

とにかく薬を飲みたい。でも医者がくるのは夕刻だという。

(夕刻・・・・!!)

夕刻・・・そうだ何時も夕刻だ。悪いことが起きるときはいつも夕刻から。
ジョナサンは慌てて茶色のフードに身を包むと、置手紙を残して
自分の部屋からこっそり出る。誰もいないのを確認して
素早く外へと飛び出した。

お忍びの為、馬車など使えない。自分の足で遠い町まで行くしかない。
財布とお守り代わりの黄金の短剣の鎖部分を手首に巻き、
ジョナサンはふらついた足で町へと進む。

どれだけ休んでどれだけ歩いただろう。ようやく町らしきものが見えてく
る。
ジョナサンは周りの人間に、どこの薬屋が一番いいか訪ねて回る。

ふとそんなジョナサンに二人組の男が、
いい薬屋を知っていると、申し出てきたので案内してもらう。
小汚く怪しい店ではあったが、あまりの二人の熱心さに根負けして
そこで薬を購入することに決めた。

お世辞にも綺麗とは言えない小さなドアを開けると、
薬の匂いがつんと鼻についた。

ほこりのかぶった薄汚いショーケースの中には、
訳の判らない薬が並んでいた。

本当にここが評判の薬屋なんだろうか・・
ジョナサンは店主が来るまでショーケースの
中の薬を物色した。

「はいはい・・・いらっしゃいませ」

妙に甲高い声の痩せ細った小男が、揉み手を
しながら奥の扉から出てくる。

男はジョナサンに近寄ると、フードの中の顔を
覗きこんでくる。ジョナサンは慌ててフードを
深くかぶり、「風邪薬をください。」
と、小さな声で呟いた。

暫く何かを考え込んでいた男だったが、
急にニタニタ笑い出すと、奥から小さな薬を
持ってきてジョナサンにわたす。

(よかった。これで少しは良くなるといいんだけど)

ジョナサンはそれを店主から受け取ると懐から
財布を出す。

「お代は・・・・?」

ジョナサンが財布から札を出そうとすると
店主はそれをやんわり断った。

「いいんだよいいんだよ。」

本当に要らないんだとばかりに男は首を横に振る。

いくらなんでもそれでは気が済まない。
自分は持ち合わせがないわけでもないし
ましてやお金に困っているわけでもない。
自分としても、ここはきっちり筋を通しておかないと。

「そういう訳にはいきません。お金を受けとって
 貰うまで僕も引けません。」

凛としたジョナサンの態度に、何故か店主はほくそ笑む。

そんな様子にジョナサンは不思議に思うも、
お札を何枚か店主に渡す。
店主が観念したように札を受け取る。

(これでいいかな・・・さ・・・帰ろう)

何も言わない店主に軽く会釈をすると
クルリと踵を返し、ドアに手をかける。
同時に背後から店主の声がする。

「紳士だね・・・お坊ちゃん・・・」

その言葉に驚いて後ろを振り返ると
まだ札を握ったまま店主がにやにやと笑ってる。

「身分を隠すためにそんなフード被ってるんだろうけど・・・」

店主がじり・・・と近づく。

「フードから見えちゃってるよ、気品のいいお顔が・・」

さらに一歩また一歩。

一体この店主は何が言いたいのか。
とにかくもうこれ以上ここにいる理由がないし、
一刻も早く出たほうがよさそうな予感がしてならない。

ジョナサンは店主を見据えながらドアノブに手をかける。
店主はそれを見て一層笑みを深くした。

「うしろに気を付けてな。」

その時、言葉と共に降ってきたのは固く大きな拳だった。



「一丁上がり。」


パンパンと埃を払うように手を叩くと、床に
突っ伏しているジョナサンを大きな男が抱え上げる。

「乱暴に扱うなよ。値打ちが下がる。」

店主が男たちに金を渡す。

男は片眉をあげて

「どうせ「乱暴」されるんだろ」

と、おどけた仕草をして笑った。
そして店には誰もいなくなる。

床に空の薬の箱が、風を受けてむなしく転がっていった。


体が重い、鉛のようだ。

沈む、沈む、深く沈む。このまま沈んでどこまで行くんだろう。

手を伸ばせば誰かが引いてくれるかな。

無理ならこのままどこまでも沈んでいきたい。

たどり着くところはきっと静かなところだろう。

これで休める。もう休める。

動きたくない。眠りたい。何も考えず、ひたすらに。


何気なく手を伸ばす。掌を広げて星を掴むように。

手の隙間から小さな光が溢れている。

「・・・・星・・・」

ぼやけた視界がだんだん開けてくる。

掌から漏れる光は星ではなく、すきま風に
煽られ、ゆらゆら揺れる乏しい明りだった。

「起きたようだな・・・。」

どこからか聞こえる若い男の声。
でもどこかで聞いたことがある。もっとも
それはもっと高い声だが。

目の前には椅子に座る男がいる。このみすぼらしい部屋には
おおよそ似合わない、小奇麗な顔の身分のありそうな男だった。
男はまだ若く、年のころは18から19といったところだ。だが
スポーツでもしているのだろう、がっちりと締まった体をしていた。

「全く・・・こどもはよく寝るものなのだな。」

頬杖を突きながらジョナサンを見つめる男。
似ている、仕草までにている。つい最近まで
この仕草をよく見ていた気がする。

「面倒くさい・・・」

軽くため息をつくと男は立ち上がる。
その足でジョナサンの隣に座る。そして息がかかるほど
顔を近づける。

「そうだ・・・ディオににているんだ・・・と
 いいたいんだろう・・・?」

金色の瞳が怪しく光る。ジョナサンはさっと男と距離を取る。
何故この男は僕の考えていることが判ったんだろう、
そして何故ディオのことを知っているんだろう。
 
気味が悪い・・・なにもかもすべてが・・・

ベットから降りようとしたジョナサンの手首を
男がひねりあげる。
痛みで呻いているジョナサンの耳に男が囁きかける。

「以前初めて会った時もこういうことはなかったか?」

その男の言葉に目を見開く。

(確かに、僕は「彼」の荷物を運んであげようとして・・・)

シュッと男の肘がジョナサンの胸を捉える。
しかしそれ以上撃ち込まれることはなく
肘はジョナサンの胸の前で止まる。

「ふふふ・・今のお前にこれをやったら骨が折れてしまうからな、
 止めておいてやろう。」

呆然としているジョナサンの手を離すと、再び椅子に座りこむ。
男は少し苛つきながら再び話を続ける

「そろそろ感づいてほしいな、俺の名はディオ・ブランドーだ。お前の
 永遠のライバルであり、そして憎むべき存在。」

「だ・・・だってディオは僕と同じ・・・」

「お前は昨日、一昨日、あんな目にあってまだ、現実から目をそむけると
いうのか?
 お前のお父様は何時もと同じだったか?お前の大好きなお友達も
な!」

なぜこの男がそれを知っているのだろう。しかし今はそんな疑問よりも
今自分のいるこの「狂った世界」を先に否定せずにはいられない。

「こ・・・これは現実じゃない!!夢だ!!悪夢だ!!」

必死に噛みついてくるジョナサンを見上げながら
再び椅子から腰をゆっくりあげると、なだめるように
彼のふくらみのある頬を撫でる。
思わず硬直するジョナサンをベットに腰掛けさせ、
不意にするりと彼の背中を撫でた。

「!」

熱から来る寒気のせいか、その途端ブルリと体が震える。

「夢なのに感じるのだな。」

「・・・!」

男の言葉にジョナサンの表情が固まる。

男がふふ・・と笑い、更に畳み掛けるように言葉を続ける。

「一昨日の鞭の痛みはどうなのだ?」

「・・・・・。」

ジョナサンの大きな瞳が揺れる。

「お前は薬屋で男に殴られたとき、鈍い痛みを感じなかったか?」

「・・・・・。」

口は半開きのまま閉じることが出来ない。

「そして・・・今・・・俺に腕をひねりあげられたとき、なぜ呻いた?」

「そ・・・それは・・・。」

熱が出ているせいで意識が朦朧として、男の顔がよく見えない。
何も考えられない。何も考えたくないのかもしれない。

「可愛そうだなジョジョ・・今も・・・そしてこれからも・・・。」

子供を慰めるように頭をなでる。その時ドアをノックする音が響いて
ジョナサンは我に返る。男は後ろを向いて「もう少し待て」
とドアの向こうの誰かに話しかける。

「・・・・誰・・・?」

少しおびえた様子のジョナサンの言葉に、ディオと名乗る男は
無言でドアとはの反対の隣の部屋に通じる小窓を開ける。
それは俗にゆう覗き穴というものだ。


「助けて!!助けて!!」

いきなりの悲痛な叫びにジョナサンは息を飲む。

向こうで誰かが助けを求めている。多分少年の声だ。
少年の声が嗚咽に変わる。すぐさま何かを2、3発殴る音に変わり
激しい物音がして再び少年が叫びだす。
ベットがギシリときしむ音。それと共に少年のうめき声が
聞こえ、それが喘ぎに変わる。

行われているであろう「蛮行」に嫌悪感はもちろんだが、
それ以上に心が痛くなる。
ジョナサンは、いてもたってもいられず向こうの部屋に向って
叫ぶ。

「何をしているんだ!!弱い者いじめはやめろ!!」

よろける体で小窓の方に駆け寄るジョナサンを、ディオの腕が
とらえる。

「人の心配をしている場合か?これから同じことを、お前は体験するとい
うのに。」

その言葉に、キッとディオをきつく睨む。
ディオはジョナサンを馬鹿にしたように見下ろすと、小窓をぴしりと閉め
た。

「もっとも・・・「俺が相手」ではないがな・・・」

未だぎりぎりと睨んでいるジョナサンを無視して
男はドアの方を、ちら・・とみつめる。

「この売春宿は他のとは違って少し特別でな・・お前のような
 育ちのいいお坊ちゃんを捕まえては、客の相手をさせているのだ。
 お前には信じられないだろうが、意外と人気があって、
 お前の大好きな金持ちの「紳士」がよく買いに来る。」

厭味っぽく笑うディオに「嘘をつくな!」と、いきり立つジョナサン。
そんな彼を無視して、話を続ける。

「まあ、お前らは「高嶺の花」だから、金持ちしか買えないという理由もあ
るがな。
 よく「お坊ちゃん」に恨みや偏見のある男どもが羨ましそうに宿の外か
ら見つめているぞ。
 それを見ていたら、なんだか哀れに思えてな、この俺が援助してやった
ぞ。立候補が
 多くて選抜するのに苦労したが・・・」

ディオは言いながらドアノブに手をかける。

「とびきりたちの悪い奴らを候補として連れてきてやったぞ。
 ・・・一応一人づつ入れてやるが・・・待ちきれずに
 続々と入ってくるかもしれん・・・。気を付けるんだな。
 せいぜいあがいて見せろ、このディオの前でな。」

バンとドアを開ける。そこには毛深い、如何にも底意地の悪そうな
男がニヤつきながらジョナサンに近づいてゆく。

一方ジョナサンは男に怯みもせず、睨みつける。

許せない。

このディオという男もそうだが、罪もない人の心と体を
傷つけて満足する人間の存在が。

女性に限ったことではない。人間の自尊心を、人権を、金や暴力に任せ

踏みにじる行為をする人間の気持ちが判らないし、判りたくない。

まさに悪魔以下だ。

「こい!!悪魔にも劣る人間ども!!」

ジョナサンは熱があるのも忘れて戦闘態勢に入る。
見事にその挑発に乗った男が襲いかかる。

しかしその男の攻撃をかろうじてかわすと
ジョナサンは首筋に鋭い肘の一撃を放つ。

次の瞬間男は白目をむいて床に倒れる。

(?)

その様子を見てディオは首を傾げる。
確かにそこそこの威力がある肘鉄だったが
果たしてガタイのいい男が、あんな肘鉄
一発を食らっただけで気絶するだろうか。
ジョナサンも具合の悪い割には、動きも攻撃も
まるで鈍っていない。彼は怒ると一時的に
力が倍増する性質だが、それにしても腑に落ちない。

「次はだれだ!!」

ジョナサンは再び戦いの構えを取る。

「・・・お呼びだぞ。次だ。」

ディオはジョナサンの様子を注意深く伺いつつも
次に待ってるであろう男の名を呼ぶ。

次はひょろっとした長身の男。
腹への一撃で倒れる。

目つきの悪い男
頭への一撃で倒れる。

次々と色々な男が出てくるも
全て一発で倒されていく。
ジョナサンの活躍劇が繰り広げられてる様を
ディオはぼんやり眺めながらあることに気付く。

(・・・・あれが原因か・・・?)

ジョナサンの手首に巻かれている黄金の剣を
かたどったアクセサリー。
ジョナサンが意識しているかは判らないが、
必ずアクセサリーを身に着けている手で攻撃している。

最後の男への一撃が決まり、男が突っ伏すと同時に
あたりはシン・・・と静まりかえる。

ディオが椅子からゆっくりと立ち上がり、
無様な姿で寝転がっている男たちに向って、
忌々しそうに悪態をつく。

「・・・ふん。カスはカスだな・・・。」

「お前が最後だな!?」

ジョナサンは全く疲れた様子も見せずに、男にむかって
構えを取る。ディオの眉毛がひくりとあがる。

「・・・調子に乗るなよ?そこに転がっているカスどもと
 一緒にすると、痛い目にあうぞ・・・?」

ディオはごきりと指を鳴らすと、ジョナサンに向って
挑発するように手招きをする。

「お前が・・・一番ゆるせない・・・!!」

ジョナサンは怒りに燃える瞳で、ディオに攻撃を仕掛ける。
一発、二発、三発と、ディオの体のあらゆる所に
拳を打ち込もうとする。しかしそれは難なくかわされる。

ディオはジョナサンの攻撃をかわしながらも、隙が出来る時を
伺う。ジョナサンの攻撃が大きく繰り出されるとき
彼の「腹」に隙が出来た。

(馬鹿が・・・)

ディオの拳がジョナサンの腹を捉える。しかしその拳は
ジョナサンの腹にめり込むこともなく、手前で止まる。
勿論ディオがわざと止めたのではない。そこから先に
拳が動かないのだ。

(・・・なんだ?見えない圧力に、拳が押し戻されているようだ・・)

ほんの一瞬目を逸らしただけだった。彼の顔に小さな拳が迫る。
ディオは慌ててそれを制止するが、拳を受け止めたその手から
高圧の電流を受けたような感覚に思わず身を引いた。

(・・・なるほど・・あの男どもが倒れた原因はこれか)

はあはあと、荒い呼吸を繰り返すジョナサンを遠目から暫く
眺めていると、ディオは何を思ったのか窓から突然
その身を投げ出した。

「にげるのか!!」

ジョナサンも慌てて窓から飛び降りる。
しかしどこを見てもディオの姿はない。

「くそっ・・・」

悔しそうに呻くジョナサンの目の前に、小舟がぷかぷかと浮かんでる。

(この船を使えば近道になるな・・・
 それにまた奴らが来ても困る)

ジョナサンは小舟に乗り、オールを使いながらゆっくりと川を下っていく。
下りの緩やかな川なので、最後の方はオールを使わずに済んだ。
ジョナサンはゆっくりと船に揺られながら星空を見上げる。
そして遠い遠い星々に向って、その手を伸ばした。


しばらくして川のほとりにたどり着く。もう屋敷は目の前だ。
ジョナサンはごくりと唾をのむ。

まだ「現実」は終わっていない。

自分の部屋に入るまで安心はできない。

ジョナサンは屋敷の裏に回り、誰もいないのを確認し、
でこぼこしたレンガに足をかけて登っていく。

幸い、自分の部屋の窓は開いている。しめたとばかりに
窓枠に手をかける。こっそり部屋の中を覗く。

(よし・・誰もいない。)

素早く部屋に入ると、剣のアクセサリーを
ノブにかける。それと同時に何時もの悪魔の叫び声が
ジョナサンの部屋に響き渡る。

アケロ!アケロ!ココヲアケロ!!

変わり果てた父と使用人の声。

ジョナサンは蹲り耳を塞ぐ。

もういやだ。

ひと時の安らぎでさえ与えてくれないのか。

ジョナサンはよろよろと窓へ近づくと、暗い闇の広がる地面を眺める。


誰もいない所へ行きたい。



少しの間だけでいい。




「自殺でもするのか?」

その時ふと誰かの声と気配が、ジョナサンの真後ろで
感じられた。

自分より高い背と引き締まった体。

体からは淡い香水のにおいがする。
  


どうして・・・?


「な・・・なんでおまえがここに・・・?」

ジョナサンは振り向かずに答える。その正体は
すでに分かっているからだ。
 
「人と話すときは・・・」


白く大きな手がジョナサンの顎を後ろから掴む。


「目を見て話せと言われなかったか?」


そのままぐりっと、顔を強引に向かせられる。
切れ長の冷たく美しい瞳がジョナサンの顔を捉える。


「・・・どうした?俺をさがしていたんだろ?」

ジョナサンを見つめる彼の顔は優しい。
だが少年の顔を掴むその手には、微塵も優しさなど感じられなかった。

何も言わないジョナサンの顔に衝撃が走る。

一発、二発。

ディオがジョナサンの頬を張ったのだ。
じんじんと痛む頬をジョナサンは摩りながら
ディオをきつく睨む。

ディオは相変わらず優しい笑顔を張り付けたまま
ジョナサンの耳元で尋ねる。
 

「お前の「お守り」は用意しなくていいのか?」


それを言われてハッと気づく。思わずドアノブの
アクセサリーを外そうとするが、ディオの一言によって
ジョナサンの伸ばした手が止まる。

「ま・・・それを外せばケダモノどもが、一気に入ってくるだろうが?」

冷たい一言が耳に届いて、思わず伸ばした手が震える。
外からは、今にも入ろうとする悪魔どもの声。
ディオがジョナサンの震える腕を優しく掴む。
 

「俺の「相手」をするか化け物どもの「相手」をするか好きな方を選べ。」


ディオが彼の肩を優しくなでる。怯えている子供を慰めるように。
    

「さっきのことは水に流してやる。従順にしていたら優しく扱ってやる。
 ケダモノどもに滅茶苦茶に犯されたいなら、好きにすればいい。」


ディオはそっと彼から離れていき、ベットに腰掛ける。

このまま佇んでいても、ディオはそれを許してくれるだろうか。

いいや、それは無理だろう。彼の機嫌を損ね、受けなくてもいい
辱めを受けるかもしれない。

ジョナサンは自分の意志とは無関係に窓の方へと向かっていく。

無意識に満天の星空に向かって手を伸ばす。

しかし星々は、男が引いたカーテンによっていきなり視界から消える。

薄暗い闇の中、うっすらと光るカーテンの裏から見える、男と少年の影。

やがて少年の影が消えて、それを追う様にゆっくりと

男の影も消える。



  


長い長い夜がまた始まる。




(ここはどこだろう。)


ひたひたと、少年は裸足で地面を歩く。


(何で僕は歩いているんだろう)


ポキリ、ポキリと木の枝を踏む。


(でも・・・静かでいい場所だ・・・)


湿った土の感触が足の裏を覆う。


(このまま誰にも会わなければいいのに・・・)


周りを囲む、暗く深い緑のような色の瞳をした少年が当てもなくさまよう。



正直昨日のことはおぼえていない。

相変わらず誰もが自分に、「害」を及ぼそうとしていた。

一度は切り抜けたピンチも気を抜いた途端やってきた。

でも二度目のピンチを、僕は切り抜けたんだろうか・・・?



わからない。頭にもやがかかってる。

朝起きたら僕一人だった。

だが・・・誰かの匂いが体についていた気がする。

自分の体を抱かれていた感触が生々しく残っていた気もする。

顔に涙のあとがいくつも残っていた気もする。


・・・思い出したくない・・・


頭が痛い・・・


ジョナサンは大木に凭れ掛かり空を見上げる。
ふと、目の前に大きな廃墟があるのが目に入る。
まるで古城のようなそれに、ジョナサンはふらふらと引き寄せられていっ
た。


不気味だが美しい。どうにも心が惹かれてならない。

古ぼけた扉がギギギ・・・と音を立てて開く。
当たりには何も気配がない。

よかった・・・誰もいない。

人間や悪魔がいなければ何も言うことはない。
薄暗い闇に支配されている城内の
二階に続く階段をひたひた上る。

真正面に廊下に通じる入口が、口を開けて待っている。
中は暗く何も見えない。それでもジョナサンは
何かにひかれるようにその入口へ足を進めていく。

どのくらい歩いただろう。何回通路を折れ曲がっただろう。
ジョナサンの目の前に黒く重い扉がそびえたつ。


「これは・・・。」


今まで暗かったジョナサンの瞳に光がともる。

(この扉は・・そしてこの扉の紋様は見たことがある。
 僕が大好きな夢に出てくる「扉」だ。
 なら・・・これは夢・・・?
 夢でもいい。いずれ覚めてしまうけど
 あの興奮をまた味わいたい。)

ジョナサンは冷たい扉に手をかける。

それを合図のように、扉から低い声がする。

「ようこそ勇気あるものよ、お前はこの扉を開けるに相応しい。」

そしてゆっくりと扉が開く。ああ・・・
間違いないあの「夢」だ。

扉が開くとそこは豪華絢爛な部屋があり、美しい宝物たちが
ジョナサンを招き入れる。

ジョナサンは躊躇わずに部屋の中に入る。ゆっくりと扉が閉まる。

瞳をきらきらと輝かせながら、ジョナサンは肺いっぱいに空気を吸い込
む。
そう、夢の中でもいつもこの気持ちのいい空気を吸い込んでいる。
体中が綺麗になっていく、そんな感じがするのだ。

ジョナサンはふと高い天窓を見上げる。塔の
天井ほどもある高い天窓に、きらめく星々が目に入る。

しかし何を思ったか、ジョナサンはすぐに他へ視線を移す。

見たくない。

あの星々たちを見たら、導かれてしまう。
皆のいるところへ帰ってしまう。
 
夢が覚めてしまう。

ジョナサンは「勝手知ったる我が家」のように、部屋の真ん中に陣取って
いる
ベットへと腰を下ろす。ここには机はない。椅子もない。
他には大きな鏡や化粧台、食べ物や食器の入った棚
奥にはバスルームにトイレ、ドレッサー、
そして壁には一面の本棚。

ジョナサンは自分の部屋のより寝心地のいいベットに寝転がり、
枕に顔をうずめ色々と考える。これからどうしようか。
いずれは帰らなくてはならい。いや覚めなければならない。

ただここで、体と心を休めるだけでいいのだろうか。
何か解決策はないか。ジョナサンはふと枕から
何かを思い出したように顔を上げ、真正面に視線を向ける。

紅い絹の神々しいカーテンの中にあるだろう空間。
何度もこの夢を見ているジョナサンだが、このカーテンの
中にあるものは見たことがない。

見ようとすると頭が痛くなる。
誰かの声が脳裏に響く。

「見れば後悔する」と。

その言葉にも臆せずカーテンを開けようとしても
その途端腕が動かなくなる。
カーテンの中の「なにか」に邪魔をされているのだ。

「見てはいけない。」

どこか優しいが、強さを感じさせる脳裏に響くその声に
ジョナサンは、何故かこれ以上詮索する気にはなれなくなるのだ。

(・・・何かわかるかもしれない。)

どうせすることがないので、せめて色々探索ぐらいはしてみたい。
どうぜ夢だ。何が起こっても怖くない。
ジョナサンはカーテンの中を確認するべく、その端を掴む。

 
「・・・どうして・・・?」
 

その途端またあの声が響く。でもいままで「どうして?」
などと、囁きかけたことがあっただろうか。いつも
「見てはいけない」の一点張りだったのに。
 

「・・・どうして・・・きて・・しまったんだい・・?」


とてもとても悲しそうな声。ジョナサンはカーテンの端を掴んだまま
固まって動けなくなった。
 

しかしそれは、悲しそうな声のせいだけではない。
自分を背後から見下ろす「誰か」の気配を感じ取ったからだ。
背中にひしひしと感じる異様な威圧感。硬直する
ジョナサンに低い声が呟く。

「ようやくおきたか・・・・。」

その声に、ジョナサンはゆっくりと時間をかけて
後ろを振り向く。何故か判らないが冷や汗が流れる。

後ろの男は微動だにしない。冷たい金色の二つの瞳がジョナサンを
じっと見つめていた


・・・これはだれだ・・・?。


今までの夢に出てきたことがない・・

ここの部屋の主なのか?

男は今だ微動だにせず、
ジョナサンを見つめ続けている。

精悍な顔立ちの男だが、その表情は氷のように冷たい。
金色の髪を持ち、その体は完璧なほど鍛え上げられ、その背は
自分よりもはるかに高い。

男の金色の瞳がゆっくり細まっていく。まるで虎にでも
睨まれたかのように動けない少年の肩に、静かにその大きな手を置く。
そしてカーテンの向こうに向かって指をさす。

「・・・・見たのか・・?」

切れ長の瞳がジョナサンを捉える。
慌てて、ジョナサンは首を振る。
 

男は少年に顔を近づけて口元を歪める。


「・・・利口だな・・いずれお前に関係してくることだが・・・
 なにも今「絶望」を感じなくてもよい・・・。」


男が白く尖った歯をジョナサンにみせつける。


(・・・悪魔・・・)


悪魔が出てきたということは、これも「現実」なのか。
また夢から覚めてしまったのか。

ジョナサンは肩から男の手を振り払い、重い扉に駆け寄る。
一生懸命押したり引いたりするが、びくともしない。

一方の男はカーテンの前から移動せず、
腕を組みながらそんなジョナサンを無表情で眺めていた。

やがて、いつまでも無駄な抵抗をしているジョナサンを
眺めているのに飽きたのか、男はそこからゆっくりと
離れていき、ドアの前で騒いでいるジョナサンに近づいていく。

その気配を感じ取ったのか、ジョナサンは慌てて男の方に
体を向ける。かろうじて男を睨みつけるが、体の震えは止まらない。

男はそんな姿のジョナサンをゆっくり楽しむかのように
一歩一歩と近づいていく。今少年が、疑問に感じている事
全てを「解説」していきながら。
 


「・・・まずこれは、夢か現実か最初にハッキリさせといてやろう。
 これは現実だ、まぎれもない・・な。」

広い空間に静かに足音だけが響く。

「そして今までお前が現実だと思っていたもの
 ・・・それが全て「夢」・・ 」

男が近づく。すでに男の影はジョナサンの足を飲み込み始めている。

「父親が豹変したのも、使用人が化け物じみてしまったのも・・
 ・・・・。お前と同じ年だった少年が大人になり
 酷い仕打ちをしたのも・・・」

「そんな・・・」

ジョナサンの表情が青ざめていく。
 

夢ならなぜ感じる?痛みを、それ以上の感覚を。
そんな少年の考えを読み取ったのか、男はそれに答える。


「お前はナイトメアに憑りつかれてしまったらしいな。
 その手首に巻いているのがそうだ。お前が大事な
「お守り」だと思っていたのが、ナイトメア本体だったという訳だ。
 ・・・ナイトメアは普通の悪夢と違い、「痛みや苦しみ」を与えるのを
 得意とする悪魔だ。それはもちろん体だけでなく心にも・・・な。」

ジョナサンは自分の手首に巻いているアクセサリーを見る。
そんなはずはない、これは自分のピンチを守ってくれたお守りだ。
自分を苦しめようとするナイトメアならば、守ってくれるはずがない。

男が更に近寄り、ジョナサンに「答え」を与え続ける。

「ナイトメアでも、良心があるのはいる。少しくらい「希望」をあたえて
 やったのだろう。まあ、「希望」から「どん底」に突き落としたかった
 だけなのかもしれんが・・・・。」

迫る男の影がジョナサンの下半身を飲み込み始める。

「そのアクセサリーは俺の部下がお前に買わせたものだ。
 手段は任せると言っておいたのだが・・・まさか
 ナイトメアを憑りつかせるとは・・・」

男の含み笑いが気に障ったのか、
ジョナサンはアクセサリーを手首から剥ぎ取ると
それを怒りを込めて男に投げつける。

男は二本の指だけでそれを
受け止めると、まるでクッキーでも壊すかのように
簡単にねじり折った。

その途端、遠くから叫び声のようなものが聞こえたような気がした。



男の影がジョナサンの肩まで伸びる。


ジョナサンはきつく睨みながら、男に尋ねる。

「じゃあ・・・じゃあ・・・僕はいつから「夢」の中に?」

男の手がジョナサンの顔を掠め、扉に触れる。バンという音と共に
伝わるドアへの振動が、ジョナサンの体をさらに硬直させる。
 

「お前が剣を買ったその夜からだ・・・。」


男の精悍な顔が近づく。

「な・・・・?」

驚いて目を見開いたままのジョナサンを眺めながら、男は囁く。

 

「ようこそ・・・長き夢から覚めし者よ・・・。」



ジョナサンの首元に男が顔をうずめる。首を吸われる感触に
総毛立ち、ジョナサンは慌てて男のそばから離れる。

男はふっと笑うと、距離を取った少年に特に近づくそぶりも見せず、
腰を手に当てたままどっしりとかまえている。
男の口が静かに開く。

「これで「二つの疑問の答え」はわかっただろう?」

「?」

「一つは今までが「夢」、そしてこれが「現実。」」

「・・・・!」

「もう一つ・・・俺が貴様をここに「呼んだ」事。」

「!!!」

その言葉に驚愕しつつも
ジョナサンは首を押さえたまま動けない、
そのままじっと、男は睨み続けるしかできなかった。

男が鼻で笑いながら、ジョナサンを見下ろす。

「ああ、お前をここに連れてきた理由だが・・・なんてことはない
 お前の肉体が欲しいからだ・・・・」

今だ言葉を発することのできないジョナサンに向って、
男が「理由」を説明する。

「お前の体を必要とする者がここにいる・・・・しかし・・・今はまだ早い。
 成熟した体になるまで待たなければならない。」

「だが、それまでお前を遊ばせておくのも後々面倒なのでな、手っ取り早

 捕まえられるときに捕まえておきたい、それだけだ。」
 
「あとは、お前を大きくなるまで「飼えば」いい。だが俺も、お前の
 面倒をただで見てやるほど酔狂じゃない。それなりの見返りも貰わんと
な・・」

それだけ言い終わると男はベットに腰掛ける。あとはお前の好きにしろ、
とでもいう様に、ベットに寝そべって目を閉じる。

如何にも馬鹿にしたその態度に、ジョナサンはカッとして大声で叫ぶ。

「ふざけるな!!お前なんかに飼われてたまるか
 !絶対・・ここから脱出してやる!!」

男は目を閉じながら「そうか」と返事をする。

「・・・そうやって馬鹿にしてればいい!でも
 今にみていろ!必ずやりとげてみせる!」

力強く脱出宣言をするジョナサンに対し
まるで小さな子供に返事をするように
再び、「そうか」
と、無感情につぶやく男。

「・・・・・・!!!」

もう何も言えない。怒りで肩を震わすだけのジョナサンに
男は目を閉じたまま問いかける。

「それで・・次は・?」

     
「つ・・つぎは・・って・?」

はじめて「そうか」以外の言葉を聞いて、ジョナサンが驚いて
男を見つめる。

男は薄く目を開けると、金色の瞳だけをジョナサンに向ける。


「お前の話の続きだ・・・それから・・・どうするのだ?
 ・・・子供の「叶わぬ夢」くらい、いくらでも聞いてやる。
 それから?魔法を使って脱出でもするか?・・ん?」
 

男は馬鹿にするように口元を吊り上げる。

その様子にすぐにでも殴りかかりたい衝動をこらえ、
激しい音を立てながら周りを物色する。

こんな失礼な男の部屋に、遠慮などいらない。思い切り
遠慮なく派手に当たりを散らかす。


ふと、先ほど覗こうとしたカーテンの引かれている空間が
目に映る。どうもここが怪しく思えて仕方ない。
カーテンを掴む手に力がこもる。

まだベットに寝ているだろう男に目を向ける。
男は今だ目を閉じたまま。

「この中に何か隠しているんだろう・・見てやるからな!!」

わざと男を挑発するようにカーテンを開けようとしている
ジョナサンを、男は相変わらず無視して「絶望したいのなら
好きにしろ」と返事をする。

誰かそんな脅しに乗るか、とばかりにジョナサンは
カーテンを一気に引こうとするが・・・

「うわっ!!」

途端に体が強い風に押され、ジョナサンは
ふわっと飛ばされる。その拍子で軽く地面に腰を打ち付け軽く唸る。

その様子を横目で見ていた男は、フン・・・と鼻を鳴らした。

「どうやらあいつに拒まれたらしいな・・・しかしあいつも
 いつまでたっても甘い男よ。奴に感謝しろ、本気で
 吹っ飛ばされていたら、あのドアに激突しているところだ。」


ジョナサンは腰を摩りながらカーテンの向こうを見つめる。
一体あの中には何が・・・。

ジョナサンが問い詰めようとする前に、逆に男の
言葉で遮られる。



「・・・・もう・・気がすんだか?」



重く、どこか冷たい男の言葉、に体中の血が凍るような
感覚に捕らわれる。

男が背後でゆっくりと立ち上がるのが手に取るようにわかる。

男がジョナサンに詰め寄る。口元は笑っているが目は笑っていない。

恐怖が体全体を支配する。もう、強がりなど一言もでてこない。

ジョナサンは扉を叩く。力の限り思い切りたたく。

手がじん・・と痛くなり内出血していくのも構わずに。


(あいてくれ・・・・!!)


一生懸願う。

しかし扉は答えてくれない。


(あいてくれぇええ!!!)


そのまま扉に凭れ掛かり、ずる・・・と
座り込むジョナサンの体を
男は片腕で担ぎ上げる。

ジョナサンは男に担ぎ上げられたまま、扉に向かって
腕を伸ばす。


扉は開かない。


口を閉ざしたまま。


ぼやけていく扉を眺めながらジョナサンの
手はむなしく宙を掻いた。



そのまま少年の体はベットに沈む。

天井を仰ぐと天窓から満天の星。

自分の輪郭を撫でる男が優しい声で
語りかけてくる。
 


「初めてだろうからな・・・優しくしてやる。
 今回だけ特別だ。女より丁寧に抱いてやると
 約束してやる。」



にやりと笑う男も、ジョナサンの視線の先にあるであろう
天窓を仰ぎ見る。

ぎしり・・・と男がベットに体を沈ませる。




「二度と帰れぬ故郷で見ていた星でも眺めながら、
 俺の腕の中で大人しく抱かれていればいい。 」




男の影がじわじわとジョナサンを飲み込んでいく。


故郷の星・・・ジョナサンは過去を思い出す。

涙で滲んでいく星々を眺めながら。



満点の星空。まだまだ幼い少年が片手を夜空にかざしている。

蒼い柔らかい髪と白い寝間着を風になびかせて。

外はまだ寒いというのに
少年はいつまでも空に手をかざす。その瞳は逸らすことなく
輝き続ける赤い星を見つめ続ける。

「風邪をひいてしまうぞ」

優しく響くその声に一瞬振り向くも、「大丈夫!」と
力強く微笑んで、またひたすら紅い星を見つめ続ける。



ジョナサンの肩には「星」がある。

昔父から聞いた。

星は我が家の守護神のようなものなのだと。

星は我らに力を与えてくれるものだと。

勇気と誇りと与えてくれるものだと。

昔父もよく星空に向って手をかざしたと聞いた。


「お前も勇気と力を授かると良い。」


そう教えてくれたのは父だった。

だからジョナサンは雨の日以外は手を空にかざす。

でも、彼はあたりに散らばる無数の星よりも、ただ一つ赤く光る
星だけにこだわっていた。



これも昔父に聞いた話だ。

死んだ人は星になるのだと。

だからきっとあの紅い星は自分の「お母さん」なのだと。

自分優しくみつめるあの星はお母さんなのだと。 



だからジョナサンも「お母さん」を見つめかえす。
出来ることならお母さんに、勇気と力を貰いたい。
短い腕を精一杯のばす。まるで母の手にすがるこどものように。

ふと、ジョナサンの小さな肩に、温かく大きな手が優しく触れた。

「お父さんも一緒に見たい。とりあえず座ろうか?」

ジョナサンはこくりとうなずくと父に手を引かれ噴水のふちに座った。

「うーん・・・座ると星が遠くなっちゃうなあ・・・」

少し不満げな声を出すジョナサンを、父は困ったように微笑みながら
自分の膝の上に座らせる。温かい父の温もりが伝わる。


「ほら・・・これで少しは星にちかくなっただろう?」

「うん!それにあったかい!」

ジョナサンはにっこり笑うと、再び空に向って手を伸ばす。

「あ・・・あーーー!!」

突然甲高い不満を含んだ声が、父の耳に届く。
父が理由を尋ねると、その丸みを帯びた輪郭をさらに
膨らませながら空へ向かって指をさす。

真っ黒い雲が、ジョナサンの「お母さん」を隠してしまったのだ。

「悪い雲め!!お母さんを隠すな!!」

いきり立ってバランスを崩し、落ちそうになるジョナサンを

父は慌てて支え直し、優しくたしなめる。

「雲に怒ってもしょうがないだろ?」

「ううん!あの雲は意地悪だ!」

必死になって怒るジョナサンの頭を父が優しくなでる。

「・・・・よし、父さんが悪い雲を追い払ってもらうように
 星たちにお願いしよう。ジョナサンも手伝うんだぞ?」

父の心強い言葉にジョナサンは笑顔で思い切りうなずいた。


ほんの慰めで言った言葉だが、少しの間星を覆い隠していた
雲は、彼らの想いに負けを認めたかのように、
スー・・・っと視界の端へ消えて行った。

ジョナサンは喜んで、再び手を星にかざす。

「お母さん!また会えたね!ねえお父さん。お母さんも
 喜んでるよね?」

「勿論だとも・・・父さんにはお前の手を優しく握っている
 お母さんの手が見えるよ・・・」

大きな瞳を輝かして「本当に?」とジョナサンは父に尋ねると
熱心に自分の手を眺める。しかしいくら見つめても
そこには自分の小さな手しかない
眉をしかめて首をかしげる。

「うーん・・・どうしてみえないんだろ・・・」

目の前で小さな手のひらを、くるくる動かすジョナサンの手を
再び父はそらに向かせる。彼のちいさなその耳に

「大きくなったら見えるようになるんだよ。」

と、優しく囁いた。

「そっか・・・よーし!」

ジョナサンは元気よく「両手」を空にかざす。

「お母さん!こっちの手も握ってね!」

精一杯両手を伸ばすジョナサンだったが、ふと何を思ったのか
片手を下す。父が不思議そうにジョナサンを見ると、彼はふいに
その片方の手で父の腕を空高くもちあげる。

「お母さん!僕とお父さんの手だよ!僕たち二人の手を握って!」

そらに掲げた小さな手と大きな手。それらの手は、紅い星に向って
まっすぐに伸ばされている。

「お父さん!見えた?お父さんの手も握ってる?」

少年の無邪気な声。

「ああ・・見えるよ・・・」


しっかり私とお前をにぎっているよ・・・


ジョナサンの肩にある小さな星に
温かい何かが零れ落ちた。


「あ・あ・あ・・・」

少年は細い腕を伸ばし続ける。

高く高く、果てしなく高い天窓に向って
届かない星を掴もうと、腕を伸ばす。

差し伸べる母の手にすがろうと必死で伸ばす。

だが彼の視線から星空は消えていく。

かわりに大きく暗い「雲」が、目の前にそびえていく。

冷たい「雲」はゆっくりと、自分に覆いかぶさっていく。


雲がかくす。全てを隠す。


真っ黒な黒い雲が


彼の空高く伸ばしている手を、あざ笑うかのように。


遠く、遠く、余りにも遠いその星を、


たった一つの星も、希望も隠す。

   



悪い雲が笑う。


今回は、お前の負けだと嗤う。


金色に光る二つの瞳と、白く鋭い牙を覗かせて。

 
   




雲は覆う。


ゆっくりと、じっくりと。


少年の体の、その「星」を覆っていく。


じわじわとながれるように雲が覆い、


そして「星」の全てが覆われる。


  



 
やがて、悪い雲は少年を飲み込んでいく。


星と共に飲み込んでいく。


彼の体も、心も。





希望さえもすべて。





続く





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